福岡の沖縄(石垣島)居酒屋に飲みに行ったら凄い経歴の元プロ野球選手が来店していた
どうも、沖縄アンバサダー・新谷くんです*1。今回は趣向を変え、友人と六本松(福岡県福岡市)の居酒屋に行った話です。
六本松*2というと、福岡でいう博多・天神と比べると知名度は劣りますが、以前九州大学(国立大学)があった場所です。また、印象としては美味しいコーヒーを出す喫茶店が多いエリア*3という印象です。
佐賀からわざわざコーヒーを飲みに行っている友人の紹介で、私も時々下記のお店に行ってました。コーヒーマンはいいぞ。
COFFEE MAN(コーヒーマン) (六本松/コーヒー専門店) - Retty
現在はだいぶ都市化が進み、高い建物ばかりが並んでいますが、裏路地には喫茶店に加え、昔ながらの焼き鳥屋や和菓子屋、レトロな居酒屋がぽつぽつと並んでいます。当日、友人とは18時過ぎに待ち合わせ、夕暮れの六本松を散策していました。
(1枚目) 『高橋酒店』 店の中には雛壇が飾られており、なかなか趣を感じる。*4
(2枚目) 『天国ラーメン』 天国へと誘われる味なのか。でも、ちゃんぽんを同時アピールしてるあたりどうなんだ。*5
(3枚目)『木香庵』これで「もっこあん」と呼ぶらしい。口コミ評価が高い和菓子屋さん。
「古い町並みだな」とゆったり歩いていると、こういう近代的な建物にも遭遇する。様々な店が入っている複合施設。
そして、本日の飲み会場へ。実は新谷くん、事前にチェックしていたお店がありました。
『石垣島ゆんたく酒場 ゆい結』
http://www.rokushouren.com/2017/04/post_196/
昨年の社会人野球日本選手権、『ULTRAS OKIDEN EISA』*6として沖縄電力を全力応援していた新谷くんにとって、近場に沖縄系居酒屋があるのならば、行くという選択肢しかありませんでした。
来店するや店内は沖縄モード。沖縄の弦楽器・三線(さんしん)や泡盛が入っていた瓶が並べられており、友人と沖縄料理に舌鼓を打ちました。
(1枚目) 海ブドウをふんだんに使った海鮮サラダ、のっけから沖縄感出てる。
(2枚目) 沖縄ラフテー(豚の角煮)、味が染みわたっている。
(3枚目) ソーキそば、石垣島では『八重山そば』と呼称される。
次々と沖縄料理と沖縄の地酒を注文していく新谷くん一行(約2名)でしたが、ふと目線を上げると見慣れぬラベルが貼ってある泡盛の瓶に気づきました。
森山良二(一軍投手コーチ補佐兼ブルペン担当)
友人と顔を見合わせました。なぜこのお店が東北楽天イーグルスと繋がりがあるのか。そして、森山良二さんとは誰なのか。思い切って店主さん*7に聞いてみることにしました。
「あの、この森山良二さんとはどういう繋がりがあるのでしょうか。」
「あぁ森山コーチ?楽天のキャンプが毎年久米島であっててね、キャンプが終わった後にわざわざウチの店まで寄ってくれるんだよ。わざわざお手製ラベルの泡盛を持ってきてね。初めて来た時は知人と一緒に来てくれたんだけど、気に入ってくれたみたいでね。
自慢げに嬉しそうに話す店主。さらに森山選手に関する小話をしてくれました。
「森山さんがプロ野球選手時代の頃って知ってる?まぁ若いから知らないよね。彼は大濠高校*8出身でこの近くに住んでたんだ。その頃の大濠高校も強かったね。その後は北九州大学*9に進学したんだけどここからが面白い話でね。当時、西武ライオンズが森山投手のことを目にかけてた。そして何をしたと思う?森山さんに『大学を辞めてもらえないか』と言ったんだよ。そして、森山さんは本当に大学を辞めた。その後、西武ライオンズの紹介で職場を紹介してもらった。しかも野球チームがない職場だ。そして野球が十分にできない環境の中、森山さんは一年間働いた。そして一年後、西武ライオンズがドラフトで一位指名したんだ。」
「なぜ大学を卒業するまで待てなかったんでしょうね。」
「大学で活躍するのは目に見えてたから他の球団に目をつけられたくなかったらしい。高校時代の時になぜ指名しなかったのかは分からないけどね。でも西武ライオンズのスカウト陣の目利きは優れていたと思う。彼は日本シリーズで完封勝利したこともあるんだ。」
事実は小説より奇なりとはこのことでしょうか。奇しくも野球好きの友人と行ったお店も、また野球で繋がっていたのです。
その晩、当時の森山選手について詳しく知りたくなった自分はとある記事を見つけました。さすがネットの世界。森山選手の経歴に目をつけていた方もいるもんですね。記事の要旨をまとめると
①森山良二投手は北九州市出身。大濠高校では剛速球を武器として甲子園のマウンドに立った経験もある。
②北九州大学中退後、ONOフーズ*10に入社。発案者は当時西武ライオンズ監督の根本陸夫*11監督。当時何もなかったONOフーズに硬式野球部を発足させ、森山選手はレストランでレジ打ち業務の傍ら野球をしていた。一年後、西武ライオンズが一位指名。他球団のスカウト陣を驚かせた。いわゆる当時の-囲い込み―*12である。
③西武ライオンズに入団以降は新人王を獲得。その後、怪我に悩まされ軟投派投手に。更にトレードで横浜ベイスターズに移籍し、9年間のプロ野球人生を終えた。その後は西武ライオンズの投手コーチ、当時の四国・九州アイランドリーグ*13のチーム(福岡レッドワーブラーズ)の監督、そして楽天イーグルスの投手コーチである現在に至る。人望が高く、選手から尊敬されていた。
④ちなみに、西武ライオンズ時代にオープン戦で中日ドラゴンズ相手に好投した際、当時の中日ドラゴンズ星野仙一*14(故)監督に「何であんな訳の分からんピッチャーに抑えられるんや。」と非難される。しかし、同年の日本シリーズカードは西武vs中日であり、森山投手は第4戦で先発登板。中日ドラゴンズ相手に完封勝利をおさめる。その後、森山選手が楽天イーグルス投手コーチをしている時期に新しい監督が就任することになった。-前楽天イーグルス監督・星野仙一氏である。
(参考にした記事はこちら)
https://bbcrix.com/articles/9022/originalbbcrix.com
気軽に入った居酒屋で森山良二さんという一人の野球選手の経歴に触れることができました。社会人野球選手からプロ野球選手への栄転、とはまた違う話であり、当時の野球界の闇を感じつつも一人ひとりの野球選手が織りなす物語は面白い!と感じた一晩でした。