カルロスゴーンが感銘を受けた日産自動車硬式野球部と今も現役の野球選手達
この数日間で日産自動車やれカルロス・ゴーンやれ巷で騒がれていますが、社会人野球ブロガーとしては是非、社会人野球の歴史に大きく名を刻んだ日産自動車硬式野球部を紹介したいと思います。正直その余分なお金で野球部を復活させてくれませんかねゴーンさん。
- 日産自動車硬式野球部の紹介と廃部になった経緯
- 元日産自動車社長カルロス・ゴーンも認めた日産自動車硬式野球部
- 多くのプロ野球選手を排出していた名門日産自動車硬式野球部
- 日産自動車硬式野球部の血を引き継ぎしプロ野球・社会人野球選手達
日産自動車硬式野球部の紹介と廃部になった経緯
本拠地:神奈川県横須賀市
存続期間:1959年〜2009年
全国大会成績:都市対抗野球大会出場29回うち優勝2回・社会人野球日本選手権大会出場16回うち優勝1回
関東地区の強豪チームだったが、2009年に経済・金融危機の影響のために年内をもって休部となった。ちなみに同年に都市対抗野球大会・社会人野球日本選手権大会ともどもベスト4の成績を残している…なのにも関わらずである。悲しい結末である。
(参考:Wikipedia)
日産自動車硬式野球部 - Wikipedia
元日産自動車社長カルロス・ゴーンも認めた日産自動車硬式野球部
日産自動車硬式野球部が存続している期間中(1999年)、企業内で大きな変化が起きる。そう、カルロス・ゴーン社長就任である。当時のカルロス・ゴーンは「コストカッター」という異名を持っており、企業利益等の目的にそぐわないとして硬式野球部等の部活動が否定されるのではないかと恐れられていた。
しかし、実際に都市対抗野球大会を観戦したカルロス・ゴーンは当時の社会人野球の熱気、応援の雰囲気に感銘を受けたという。そう、我々がプロ野球や社会人野球に対して熱い眼差しを向けるように。そして、カルロス・ゴーンが述べたこの言葉は我々の心を打つであろう。
『都市対抗野球こそが日本の企業文化の象徴である』
すなわち日本の中軸は社会人野球が担っているということですよね!!!!!
多くのプロ野球選手を排出していた名門日産自動車硬式野球部
平成生まれの人達が知るだけでも、川尻哲郎(元阪神)・早川健一郎(元ロッテ)・川越英隆(元オリックス)・鷹野史寿(元近鉄)・押本健彦(元日本ハム)・高崎健太郎(元横浜)・青木高広(元広島)・久古健太郎(元ヤクルト)・古野正人(元ヤクルト)など多くのプロ野球選手達を輩出している。
日産自動車硬式野球部の血を引き継ぎしプロ野球・社会人野球選手達
最後になるが、今だに元日産自動車硬式野球部でありながら現役で活動している5選手を紹介する。最近、巷を騒がせている日産自動車だが選手達に非はない。むしろ、これを機に選手達を応援して欲しい。社会人野球の存在を知って欲しい!という次第である。
野上亮磨選手(プロ野球)
年齢:31歳
ポジション:投手
投打:右投右打
経歴:神村学園−日産自動車−埼玉西武ライオンズ−読売ジャイアンツ
熊代聖人選手(プロ野球)
年齢:29歳
ポジション:内野手・外野手
投打:右投右打
経歴:今治西高−日産自動車−王子−埼玉西武ライオンズ
吉田承太選手(社会人野球)
年齢:32歳
ポジション:内野手
投打:右投右打
経歴:筑陽学園高−関東学院大−日産自動車−三菱重工名古屋
秋葉知一選手(社会人野球)
年齢:36歳
ポジション:投手
投打:左投左打
経歴:四日市工高−国士舘大−日産自動車-JR東海
梵英心選手(社会人野球)
年齢:38歳
ポジション:内野手
投打:右投右打
経歴:三次高−駒澤大−日産自動車−広島東洋カープ−エイジェック
当ブログ管理人は日産自動車硬式野球部の再興を切に願っています!