梟、駆ける。

社会人野球やクラブチームなどややニッチな野球記事や雑記を投稿。

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台風の中、電車を待つ社会人を見て、働く事に嫌気がさした話

先日、関東地方を中心に台風が直撃し、施設や建物が壊滅状態となった。羽田空港の天井や壁が大破されている写真を見た時は衝撃を受けた。私が住んでいる地域(九州地方)では、雲一つない青空が広がり、快晴。地域によってもこんなに天気は違う様を見せるのかと、仰天してしまった。


しかし、更に仰天してしまったのが、危険な状況に晒されながらも、駅前に行列をなして並ぶ、日本のサラリーマンの人達である。


確かに当日に重要な会議があるというのであれば多少は理解できる。電気やガスを扱う公的な会社、子どもの安否を確認しなければならない学校。これも仕方ないかもしれない。しかし、このような事情とは理由で出社している人がいるというサラリーマンがいるという事実が判明し、日本企業の性質、日本人の気質、そして「日本人の働き方」について疑念を感じてしまった。


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改めてみると、この「通勤ラッシュ」は日本特有の文化であり、「負の光景」だろう。

業務よりも「体裁」を気にして出社を強いられる日本人

「他の社員、ましてや上司が出勤しているのかもしれないのに自分だけ休むだけには…」という考えはいかがなものだろうか。組織の体(てい)など糞喰らえ、と開き直っている自分にとっては、この日くらいは公的な休暇にしてもらいたいものである。仮に、出勤・出社できたとしても、果たして、仕事ができるのだろうか。職務を全うできるのだろうか?労働的な生産性を考えれば、仕事にならないのであろうか。

今回の台風を通じて、自らの労働形態を見直してほしい

今回の災害を通じて、私の中で「ここまで労働を強いられている状況はいかがなものだろうか?」という疑念が生まれてしまった。かくなる私も一人前の社会人である。労働という対価でお金を得ている。しかし、お金を得る方法は労働という手段だけではない。情報や知恵さえあれば、労働に時間を削がなくてもお金を得れるのではないか。

「働く意味」「働き方」について再考し、自らの生き方を再考する

やや飛躍した思考になってしまったが、日本の労働形態は異常ともいえるかもしれない。最近、夏期休暇で海外に生き、外国の生活に慣れてしまってた影響もあるが、1日24時間のうち、自分のために使える時間がどのくらいあるのか考えてほしい。台風などの自然災害が起きようとも出勤を強いられる企業?そんな生産性がない行為を強いる企業は間違いなく成長しない糞企業である。と同時に、人に成長をもたなさないであろう。弊害でしかない。


二番煎じ的な内容の記事かもしれないが、私自身も今一度、「働く」という意味を考えてみようと思う。自分がやりたい事は、企業で働くことにより得れるのか?サラリーマンという肩書きを失って、残るものはなんだろうか?数十年働いて、定年を迎えた自分を誇りに思えるのか?


早く投資のみのお金だけで生活したいなぁ。歳をとって価値観が変わってしまったが、「やりたい事をしてお金を稼ぐ」よりも「お金を稼いでやりたい事をする」方がてっとり早い気もするし、余計なストレスを感じることもないだろうから。組織の中でしか生きれない人になりたくないと思った、今日この頃。


はたらきたくない

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